沖縄『平和の礎』の陰に『平和の礎(いしじ)』 沖縄戦で亡くなった人の名前をその国、性別、民間人、軍人にかかわらず刻むモニュメント。 6月23日は、沖縄戦の戦没者を悼む「慰霊の日」。『平和の礎』では、追悼の式が毎年行われている。 この『平和の礎』を、沖縄県は「平和を希求する沖縄県民の心のシンボル」とし、 県の平和政策の中心に位置づけている。だからこそ、「礎」という文字を“いしずえ”と呼ばず、沖縄の言葉で“いしじ”と敢えて呼んでいる。 この『平和の礎』に朝鮮半島出身者の名前を刻むことを、沖縄県は中断した。そして、そのまま中止するかもしれないという。 沖縄戦で亡くなったすべての人を刻銘するはずの『平和の礎』。そこから朝鮮半島出身者を除外することは、『平和の礎』の基本理念に反するのではないか? 沖縄戦で亡くなったすべての人を『平和の礎』に刻銘することで、地上戦を体験した沖縄から平和を希求する沖縄県民のメッセージを全世界に発信する。それが沖縄県の方針。 朝鮮半島出身者の刻銘を中断することは、沖縄県の平和行政は、結局“かけ声”に過ぎないことを意味している。 沖縄戦で死亡した朝鮮半島出身者は1万人とも言われている。それに対し、現在『平和の礎』に刻銘されているのは、423人に過ぎない。 朝鮮半島出身者の身元確認は困難を極める。そのほとんどが強制連行で日本へ連れてこられ、名簿その他の資料が残っていない。さらには、民族固有の名前を強制的に日本式へ変更させた「創氏改名」のため、日本名が判明してもそこから先をたどることが難しい。 また、たとえ身元がわかったとしても、日本への反感や憎悪から刻銘に同意しない遺族も多い。 沖縄県は、その困難な調査をたったひとりの韓国人にすべてゆだねてきた。 歴史学者のホン・ジョンピルさんである。 現在、『平和の礎』に刻銘されている韓国出身者341名の大半は、ホンさんが韓国全土そして日本各地を訪ね歩いて身元を調査し、反日感情を抱く遺族の元へ何度も足を運んで刻銘の同意を得た人たちだ。 ぼくは今年、ある局で『平和の礎』の朝鮮半島出身者の刻銘問題をテーマにした番組の制作に携わった。その番組の中心人物のひとりがホンさんだった。 ホンさんは沖縄県の依頼を受け、沖縄戦で死亡した韓国出身者の身元調査を8年間続けてきた。その唯一の手がかり、それは朝鮮半島出身者の名簿だ。 その名簿は、沖縄県の平和推進課が旧厚生省に残る日本軍の名簿を『朝鮮半島出身者で沖縄戦に関連して死亡したと思われる人』という条件でふるいにかけて抜粋したもので、419人しか掲載されていない。 1万人にのぼるとされる、沖縄戦で亡くなった朝鮮半島出身者。その人たちを『平和の礎』に刻銘するため、沖縄県が基礎資料として作った名簿はこれしかない。日本軍の名簿から419人の名前や戦没地などを写したこの名簿しかないのだ。 国別に戦没者の名前が刻まれている『平和の礎』。韓国出身者の刻銘板には奇妙な事実がある。刻銘されている341人全員が“男性”なのだ。“女性”はひとりも刻銘されてはいない。 なぜなのか? 戦没者の身元調査をしているホンさんはずっと疑問に思い、沖縄県にもその疑問を投げかけている。しかし、未だ明快な回答を得てはいない。 こんな事実がある。 1997年、ホンさんが遺族に刻銘の同意を得た韓国出身者は44名。そのうちただひとり、その名を刻まれない人がいた。女性だった。 ホンさんが調査し、遺族が同意したにもかかわらず、刻銘されなかったのは、8年間の調査の中で、この女性ただひとりだ。 『平和の礎』に刻銘することに同意した遺族は、既に刻銘されたものと思っていた。それが刻銘されていないことを取材陣から知らされたとき、遺族の女性は怒りを込めた疑問をぶつけた。 --男性だけを刻銘するんですか? --慰安婦だった女性たちはどうなるんですか? 慰安婦として働かされていた朝鮮半島出身の女性たちが沖縄にもいたことは、日本軍の残した資料でも明らかになっている。『平和の礎』に刻銘されなかった女性の遺族は、慰安婦として亡くなったのかもしれないと考えている。 その上で、次のようにはっきりと主張した。 --韓国の女性たちが日本に連行され、亡くなったのは日本人のせいでしょう。 --自分が望んだわけじゃない、強制されたからでしょう。 --恥ではない、自発的な行動ではないから恥だとは思わない。 結局、この女性は、死亡した日時や場所を定めた『平和の礎』の刻銘条件に合致しなかったため、刻銘されることはなかった。 しかし、ここで奇妙なことが判明した。死亡年月日などが刻銘条件からはずれていながら、その名を刻まれている朝鮮半島出身者が多数いるのだ。 例えば、上記の女性が刻銘されなかった1997年にその名を刻まれたのは43人。そのうち10数名は刻銘条件からはずれていた。本来は、刻銘対象外となるべき人たちだったのである。 なぜこのようなことが起こったのか? 沖縄県平和推進課は「単純なチェックミス」と回答した。しかし、沖縄県が身元調査用に作成した419人の名簿には、ひとりひとり、死亡年月日が記載されている。つまり、ホンさんに名簿が渡された時点で、419人の中に刻銘対象外の人たちが数多く含まれていたのだ。 ホンさんは8年間に渡り、刻銘されることがない人たちの身元をも尋ね歩いていた。 『平和の礎』を軸とする沖縄県の平和行政は、その出発点、こと朝鮮半島出身者の調査に関する限り、まったくずさんだった。 『平和の礎』。 その朝鮮半島出身者の刻銘板には、なぜ男性しか刻銘されていないのか? その疑問に対しては、沖縄県からは明快な回答が得られなかった。 問題は、名簿の作り方にある。 沖縄県が身元調査用の名簿を作成する際に参考にした日本軍の名簿。この名簿には性別の記載がないが、掲載されている朝鮮半島出身者は、軍属など軍部の一員として働いた人たちだ。その大半が男性であり、従軍慰安婦とされた女性たちは含まれていないと推測される。 そこから抜粋して作った419人の調査用名簿。それが男性ばかりとなっても不思議ではない。沖縄県も「そのほとんどは男性だっただろう」と認めている。 こうした沖縄県の姿勢に対し、ホンさんはこう疑問を述べた。 --沖縄の人たちは女子ども、みんな名前を刻んでいるのに、 --どうして韓国の人間に関してはこんな名簿をくれるのか、今でも疑問です。 --他にもあるはずです、他にも名簿はあるはずです。 しかし、沖縄県は、女性を含めた新たな朝鮮半島出身者の名簿を作ることには消極的な態度を崩さない。 なぜなのか? 沖縄県平和推進課は、こう主張する。 「戦没者や遺族の人権やプライバシーの観点から、女性の調査は難しい」 例えば、朝鮮半島出身の女性の調査を続け、身元が判明したとする。戦時中の状況からして、その女性は慰安婦として働かされていた可能性が強い。それが明らかになることは、その女性の人権に反する。 しかし、『平和の礎』には、性別も、職業も刻まれはしない。「刻まれるのは名前だけ。亡くなった時の状況は問わない」。それが『平和の礎』の理念のはず。 その人が沖縄戦のさなか、どのような境遇にあったのか、民間人なのか、軍人なのかを特定することはしない。だからこそ、刻銘するのは名前だけにしたはずなのだ。 また、戦後60年近くを経た現在、刻銘されなかった女性の遺族のように、たとえ慰安婦とされていたとしても刻銘して欲しいという考えを持つ人たちが多くなってきている。 その問いかけに、沖縄県は明快な回答を示さなかった。 『平和の礎』を訪ねた韓国人女性は、取材陣の問いにこう答えた。 --女性が性を蹂躙されるということを恥と思う考えから --「人権を害する」というように言うと思うんですけど、 --その考え方こそ、人権侵害だと思います。 今年も『平和の礎』には、沖縄戦の犠牲者が新たに刻銘された。ハンセン病療養所にいた人たちや、戦艦大和の乗組員に混じって、ホンさんが身元を調査した15人の韓国出身者も含まれている。 しかし、韓国出身者の調査を中断した今、今後、刻銘される人が増える可能性は限りなく低い。 沖縄県は「申請があれば、当然刻銘する」と言う。刻銘を申請するには、刻銘条件に合致するかを確認するために、その人が死亡した日時と場所を明らかにしなければならない。 だが、朝鮮半島出身者は、日本によって強制連行され、いつ、どこで命を落としたかさえわからないのだ。その遺族が、肉親の死亡した日時と場所を特定することができるはずがない。 たとえ遺族が刻銘して欲しいと願っても、不可能なのが現実なのだ。 今年、ハンセン病療養所の患者や戦艦大和の乗組員が刻銘されたのも、申請書を書くことができる人がいたからなのだ。 申請されることがなければ、国籍にかかわらず、民間人か軍人であるかにかかわらず、『平和の礎』にその名を刻まれることもない。 「申請があれば、当然刻銘します。それが『平和の礎』の理念です」 刻銘条件を提示し、あとは遺族からの申請まかせ。それが沖縄県の「平和行政」。朝鮮半島出身者は、その枠からさえ、はずされようとしている。 稲嶺沖縄県知事は、新たな名簿を制作することを示唆している。しかし、誰が、どのようにして朝鮮半島出身者の身元調査をするのか、具体的なことは決まっていない。 この3月で沖縄県との契約が切れたホンさんは、独自に調査を続けるという。日本という異国で命を落とした同胞への思いを断ち切ることができないのだ。 --韓国では、日本の植民地時代の人間だと言われて、 --どこにも行き場のない、悲しい人たちです。 --沖縄は、私たちと同じように戦争の被害者です。 --日本は戦時中に100万人もの人たちを連行して行きました。 --それでも、慰霊碑を建ててくれようとしているのは、沖縄だけなのです。 この言葉を、沖縄県は、日本という国は、どのように聞くのだろうか? (2004.06.25) |